Rouque店主で宝石商の宮澤理恵です。
宝石商の名刺を渡すと、「宝石商、、、ですか?」ときょとんとされることが多いです。
身近にあまりいない職業ですよね。
どうしてもなりたくて目指したわけではなく、結果として宝石商になった経緯を紐解いてみます。
ずっと働くための譲れない3つのこと
働く母を見て、子どもの頃から当然のように「大人になったら私もカッコよく働くんだ!」って思っていました。
小学校、中学校では特にあこがれたものはなく、高校に入ってから漠然と「英語を使う仕事」を意識していました。
大学在学中には、アメリカとカナダへ2度の短期留学をして、すっかり「英語圏かぶれ」してしまった私。
卒業のときには、「留学」を目指すようになっていました。
大人になってから留学。
ならば、将来の仕事に結びつくようなことにしよう!と、初めて具体的に職業を考えるようになりました。
当時、譲れないなと思ったポイントは3つ。
・世界中どこででも通用すること
・90歳までできること
・女性を対象とすること
1は英語を使って仕事したい!と思っていたし、旅行が好きだったから、あちこち行きたかったのだと思う。
2は、定年なく、死ぬまでやることがある人生を送りたいと思ったから。
3はキレイな女性が好きだったから。
大人になった私からすると、こんな、かなり世間知らずな考えだったのだけど、当時は大真面目で、会う人会う人に「この3つのポイントを満たす仕事するよ!」と話してました。
今でも昔からの友人に笑い話にされます。
いざ、留学へ
さて、とりあえずの指針が決まったので、留学先を決めることに。
あれこれ調べているうちに、ニューヨークのアパレルの学校か、ロサンジェルスのジュエリーの学校かが選択肢として残りました。
さあ、どっちにしよう??
どっちでもいいんだけどな……どちらにしようかな?という、とっても安易な私。
決め切れないでいたとき、なぜかジュエリーを仕事にしている人との出会いが重なり、またまたなぜか「ジュエリーの仕事に向いているね!」と会った人、全員に言われて。
おだてられたら乗りやすいので、そのままジュエリー方向へと舵を切ったのです。
留学先はL.Aのサンタモニカにあった「GIA(米国宝石学会)」の学校。
(今はサンディエゴのカルスバッドという町に移転しています)
GIAの歴史は古く、1931年に設立。カリフォルニア州からの助成金交付を受ける非営利団体で、世界的な宝石学の教育機関と、鑑別・鑑定機関、また鑑定に関する研究所からなっています。
米国宝石学会の「宝石学修了者(GIA-GG)」の称号を持つ人は、世界中の鑑定・鑑別機関で、鑑定士として活躍しています。
現在、日本国内で使用されているダイヤ鑑定の基準は、このGIAの基準に準じています。
私はここで、世界中から集まった仲間と1年半、鑑定や鑑別、彫金を学びました。
ちなみに、仲間のほとんどは、家業が宝石屋だったり、ものすごいお金持ちの趣味だったり。
普通の家庭出身で、業界経験もなく、いきなり飛び込んじゃった人も珍しかったかな。
学校の授業はもちろん、仲間と話すことでも多くを学びました。
さて、どの方向に進もうか?
帰国が近くなるにつれ、どういう方向で仕事をしていこう?と考えるようになりました。
一言で宝石といっても、廉価なもの、カジュアルなもの、高価なものとさまざま。
どの路線に進むかによって、仕入れ先も、売り先も変わってくるわけです。
卸をしたいのか、小売りをしたいのか、デザイナーになりたいのか、職人になりたいのか、鑑定機関で働きたいのか、就職するのか、独立するのか。
選択肢はたくさんありましたが、日本で知り合ったジュエリーに関わる人たち(小売をしている人)が、みんな高級路線で、その人達から宝石の仕事の楽しさを聞いていたから、何の迷いもなく高級路線での小売りを目指しました。
この方たちに出会う前は「ジュエリーを扱う人って、うさんくさくて、高いもの売りつけてる人」っていう印象があったのですが(笑)、いやいや、実は時間やお金にきっちりとされているし、遊び方も心得てて、本物を知り尽くし、お客様と仲良くて。
私も、こんなふうに、年齢を重ねていきたいなーと憧れていたので、その想いだけを持っていた感じです。
帰国後
こうして帰国した私は、まず日本の宝石業界のことが知りたくて、卸の会社に就職しました。
ここの会社は、地方の呉服屋さんやブティックさんとタイアップして、お店さんのお客さまに対して宝石を販売する仕事をしました。
月のうちのほとんどが出張で、会場のセッティング、商品管理、販売をしました。
これがですね……
私にはまったく合いませんでした(涙)。
ジュエリーをまとうときのワクワク感が全くなくて。
おつきあいの延長だったり、営業の強い押しだったり。
卸の会社なので、仕方ないのですが、1年でギブアップ。
「本当にやりたい方法でやろう!」と、まずはホテルの部屋を借り、セレクトショップとして、私がセレクトしてきたジュエリーを見ていただく会を開催しました。
お客様ゼロの状態で、この会を開催した青すぎる私でしたが、友人・知人が来てくれて、気に入った商品を次々と購入してくださいました。
数百万の売り上げを手に、渋谷のマンションの1室を借りて、ジュエリーサロンをスタートしました。
それから25年。
ジュエリーは今でも、私自身を大いにワクワクさせてくれています。
きれいな商品に出会ったとき、ジュエリーを着けたときのお客様の目の輝き。
ジュエリー初心者だったお客様が、目の肥えたセンスを持つようになったとき。
ジュエリーの仕事をしていなかったら会えないであろう方に、会えたとき。
海外のジュエリーショーに参加したとき、
仲間と延々とジュエリー談義をしているとき。
25年たった今でも、この仕事が楽しくてたまらないのです。
そして本当にジュエリーを満喫できる50代になり、どんなジュエリーに出会い、どんな女性に出会えるか?楽しみでなりません。
90歳まで仕事するとして、あと40年。
(まだ、だいぶあるな)
引き締まった、姿勢のいいからだに、ヴァレンチノのスーツとか着ちゃって、指が隠れるほどの大きなルビーと、じゃらじゃらとグレー色のバロックパールを着けて、「こういうジュエリーに挑戦してみなさいよ!」とお客様に迫力満点で商品をおススメしている姿を目指しています。
私がジュエリーの仕事をしているのは、自分自身がずっとジュエリーの似合う女性で居続けたいからかもしれません。